死にたかったあの頃、回想。
平成21年厚生労働省調査によるところでは15~39歳の死因トップが自殺らしいです。
個人的にはどの年代でも自殺がトップなんじゃねぇのかと腹の内では思っています。
生き死に関する話題は実社会ではどうもタブーとしてあつかわれていて普段面と向かって「ねぇ死のうと考えたことある?」なんてポンと聞けるもんじゃありません。
危ない子認定されてお終いです。
けれど人が死のうとして死ななかった経緯、理由を知るのは人の在り様の根底に迫る感覚があって僕は好きです。
御多分に漏れず僕も20数年生きてきて、死んじまおうかなと衝動に駆られたことが二回あります。
せっかくだから書き起こしてみます。
幼少期、小学校に入学したころ。
当時の僕は人付き合いが今にも増してわからない状態で、非暴力服従という無思想のガンジーを見習ったような生き方をしていました。
同年代からだけでなく、教職に携わる方々からもそのころから無視、過干渉やらで虐められていたと記憶しています。
ですからストレスフル社会で生きる人々に解消の為にいいサンドバッグにされたのでしょう。
誰に教わるでもなく無抵抗のひ弱そうな人間を器用に見つけ出し、徹底的にこき下ろす。
自己精神が崩壊しないように他者を生贄にする古来からの方法。
社会的動物の本能にプリセットされている恐ろしさ。
そんな理由から内向的なしょーたろー少年は学校には行かず、TVゲームと虫取りをして暮らす願望を胸に秘めていますが、親はそれを察することはありません。
泣こうが喚こうが無理やりに腕を引っ張られて学校へ拉致される日々です。
親や教師に引っ張られての登校。不登校児の日常でよくある残酷な一コマ。
ご近所の人がハハハと笑っていますが、こちらからすると冗談じゃない。行きたくなくて必死です。
「お前ら大人は学校に行かずに家でごろごろTV見てずるい!へらへらしてないで助けてくれ!」
本気でそう思って睨みつけていました。
抵抗むなしく学校へ駆り出される。そんな日々が続きます。
当然家にも学校にも心休まる場所がないのですから全くたまったものじゃありません。
小学生の世界なんてその二か所しかないのですから。
そこである日突然ひらめきます。
「切腹して死ねば、もう学校に行かなくて済むんじゃね!?」
その日の夕食を済ませたのち、いそいそとキッチンへ忍び込み包丁をへそに押し当てること数分。
予想外のことが起きます。
「包丁を腹に刺すと、とんでもなく痛いのでは!?」
当たり前のことにようやく気付きます。阿保です。
今ですら阿保な人間の幼少期です。輪をかけて阿保阿保です。
「痛いのが嫌で死にたいのに、死ぬ間にとてつもなく痛いのは嫌だ!どうにか痛くなく死ぬ方法はないのか!」
包丁腹に当てたまま不毛な議論を繰り広げ立往生していたところを母親に見つかり、パシッっと包丁を取り上げられました。
その夜、布団の中で「俺は死ぬこともできずに明日からも学校へいかにゃならんのか。なさけない。」と圧倒的無力感に苛まれ、生まれて初めて泣き寝入りをしたことをよく覚えています。
以降何をしても地獄の日々は変わらないのだから足掻くだけ無駄であると自分の感情に封をし、黙々と登校するようになりました。16歳の高校二年まで。
完全に学習性無気力状態のそれです。いやぁ辛かった。
一度目はこんな具合でした。
二度目の高校生編は次回に認めます。
それでは、ごきげんよう!